星と誓願寺のはじまり
密教と誓願寺
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 密教とは


秘密の教え ー 密教

仏教の最新の教え、それが「密教」です。
対してそれまでの仏教のことは、顕かな教え「顕教(けんぎょう)」といいます。
「密教」とは「秘密教」「秘密宗教」「秘密仏教」の意味で「密宗」ということもあります。
インドでお釈迦様が始められた仏教は、自らを救済するため出家して修行するものでしたが、だんだんと閉鎖的になっていきました。それに反発する人たちが「自分だけでなく一般の人も救っていこう。出家しない人も一緒に修行しよう。」という「大乗仏教」を興していきます。
大乗とは”大きな乗り物”の意味です。
インドはもともと「おまじない」が盛んな土地でした。大乗仏教という大きな乗り物に一般の人たちも一緒に乗り込んだために、

少しずつ「おまじない」が仏教に混ざっていきました。いつしかその「おまじない」を使って、いま困っている人をいま救っていこうという人たちが出始めました。「密教」の始まりです。
「おまじない」が次第に洗練され纏められてくると、「大日経」「金剛頂経」という密教経典が成立し体系化されました。まもなく唐に伝わり、ほどなく唐から日本へ「密教」がもたらされます。インドで「密教」が更に熟してくると、それまでの仏教と合わせてチベットに伝えられ、チベット僧により中央アジアに広く伝えられました。やがてインドがイスラムに征服されると、インドでの仏教はほぼ滅ぼされてしまします。
さて「密教」では現世利益(げんぜりやく)を重視します。現世とは今生きているこの世界この生涯のことです。利益とはほとけさまや神さまにいただく験”おかげ”のことです。
今苦しいこと、今悩んでいることなどは、今おかげをいただきたいという切なる願いに応えることを目標のひとつにあげています。そしてそのための様々な役割や、様々な姿を持ったほとけさまたちや、様々な祈祷方法(護摩や護符・修法など)が「密教」の特徴です。

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弘法大師空海と真言宗

弘法大師空海さまは宝亀五年(774年)六月十五日、今の香川県善通寺市に生まれました。父は佐伯直田公善通卿、母は阿刀氏の玉依姫という有力豪族です。幼名を「真魚(まお)」と申され、幼少より大変聡明でした。ご両親が「貴(とうと)もの」と呼ぶほどで、その周辺の地に様々な伝説が残されています。
15才で都に出て学者である叔父に付いて学び、18才で当時大変難関であった大学に入学を認められました。入学してすぐに、もう覚えることがなくなってしまうほど努力をされ、その才を発揮されますが、名利を求めるための学問が志と異なっていたため、親類の反対を押し切って仏道に身を投じられました。
各地で厳しい修行を積まれ、高知県の室戸岬でほとけさまからの「おしるし」を得たあと「空海」と名乗られます。奈良の東大寺で仏さまからの夢のお告げを受け、奈良の久米寺で「大日経」というお経と出会います。
しかし当時の日本に

これを理解できる者が一人もおらなかったため、唐の国に渡られます。 船が難破し漂流するなど大変な辛苦に遭いながらも、唐の都長安に上られます。長安で唐の密教の正統継承者である恵果和尚(けいかかしょう)に招かれ、三千人を越える弟子たちを飛び越えていきなり密教の正統後継者に指名されます。不満を鳴らす弟子たちには不思議なことが起こり、やがて文句を言う者はいなくなったとのことです。
すべてを伝え終わった恵果和尚は、早く日本へ帰って密教を広めるよう遺言され、ほどなく亡くなられます。お大師さまと初めて出会われてより半年後のことでした。
お大師さまは弟子を代表して、恵果和尚の顕彰碑の文筆をとられ、それが評判となりました。これを聞いた皇帝の命で宮殿の壁に書をしたため、「五筆和上」という称号を賜りました。
遺言に従い日本への帰国を決めたお大師さまですが、帰路の船も嵐に見舞われます。お大師さまが不動明王に祈ると、不動明王が現れて波を切り開き、無事九州へ帰り着くことができたと伝えられています。
無事に国へ帰り着いたとはいえ、勝手に二十年間の留学を二年で切り上げた許しを得る必要がありました。そのための報告書を「御請来目録」と言います。朝廷からの許可が出るまでのこの期間に、お大師さまが開創されたとする寺院が数多くあり、御誕生地跡に建つ総本山善通寺もその一つです。
やがて三年ほど経つとようやく許しを得ることができ、さらに都に上り密教を広める許可も賜りました。
ここからお大師さまのご活躍が始まります。
国に変が起こると、天皇のもと国家安泰の祈祷を行いました。
結縁灌頂という密教の儀式を行い、様々な人々にほとけさまとのご縁を結ばせます。
宮中で天皇さまが僧侶を集め仏教の話を聞かせた時、密教の教えを信じない僧侶たちの前で大日如来という仏様になってみせ、僧侶はもとより天皇さまの信仰も厚くなりました。
高野山の地を天皇さまより下賜され、修禅のための道場として開創されます。 国中に悪い病が流行すると、天皇さまにご祈祷を命じられました。天皇さまが般若心経を写経され、お大師さまが祈祷をすると病は治まりました。
香川県の人々から、何度築いても決壊する満濃池の堤防の改築を乞われると、唐の最新土木技術を用いて設計を施しました。お大師さまを慕って大勢の人が工事に参加したため、わずか三ヶ月ほどで風雨に耐えうる堤防を完成させました。
奈良東大寺の別当に任ぜられて真言院を建立し、さらに京都の東寺を賜ります。国が大日照りにみまわれた際には、天皇さまに雨乞いを命ぜられ、神泉苑で祈雨の修法をされるに三日三晩の雨を呼び、人々に喜ばれました。
当時貴族のための大学はありましたが、誰もが学べる学校はありませんでした。お大師さまは京都に「綜芸種智院」という庶民にも開かれた学校を作られました。
また、天皇さまの御健勝と国の安泰・平和を祈る後七日御修法という祈祷を創められました。この御修法は今も毎年修されています。
筆を取っては能書家であり「日本三筆」に数えられ、和漢いずれも詩才に優れ、人を感じさせる名文をふるって思想書を編み、戯曲までも記しています。また絵画彫刻にも優れておられます。
僧として徳風あって多くの弟子を育み、対立して然るべき既存の仏教宗派とも和気あいあいとして教化し、他宗派からその門下に転ずる者も多くありました。また宿曜経という占星術のお経とともに、七曜つまり曜日を日本にもたらされました。
「虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん」と誓われ、承和二年(835年)三月二十一日、62才で高野山において永遠の禅定に入られました。
ご入定より八十三年の後、醍醐帝より「弘法大師」の諡号と御衣を賜りました。そのご報告とお衣換えのためお大師さまのご霊廟に入ると、御髪と御髭が伸びていたのでこれを剃り、衣帯を改めたと伝わります。
今に至るまで人々の崇敬を集めているお大師さま。今でも様々な人々を救い続けられておられます。
『冒地(ぼうぢ 菩提・覚りのこと)の得難きに非ず この法に遭うことの難きなり云々』(お大師さまに密教を伝えた恵果和尚の言)

真言宗とは
真言宗とは、唐で密教の正統な伝承者になられた弘法大師空海さまが、密教を日本に持ち帰られ日本で完成させた仏教の宗派です。
それ故、真言宗は「密教」という仏教の宗派に属することになります。
チベット仏教を除けば一番新しい仏教の宗派なのですが、既存の宗派が日本に持ち込まれる前にお大師さまにより日本に持ち帰られたので、日本に伝わる順序が前後することになり、古い宗教と誤解されがちです。
日本の密教には他に天台宗の一部が伝えているものもあります。
真言宗の「真言」とは、サンスクリット語の「マントラ」の漢訳で、呪文や仏様の真の言葉などを意味します。この言葉は手で結ぶ印や心で結ぶイメージと共に密教で重視されます。印は仏の身体を、真言は仏の言葉を、イメージは仏の心の境地を表し、この三つをまとめて「三密」といい、これが仏様に近づくための重要な手段になるからです。
真言宗の総本尊は大日如来という仏様です。無限の宇宙の真理そのものとも言える仏様で、その働きを表すために様々なほとけさまや神さまが存在します。我々自身もその働きの一部とも言えます。
言葉では説明しきれないほとけさまの働きを表すために、曼荼羅(マンダラ)という図像を用いるのも密教の特色です。沢山の種類の曼荼羅がありますが、多くの真言寺院には金剛界と胎蔵界という二種の曼荼羅が掛けられています。これは「金剛頂経」と「大日経」という真言宗の根本経典の世界を表しているからです。
真言宗で大切にしているのは
・鎮護国家(ちんごこっか)
・即身成仏(そくしんじょうぶつ)
・現世利益(げんぜりやく) の三つです。
鎮護国家は国を平和に幸せに保つことです。
即身成仏というのは、今生きているこの身体でそのまま仏になれるということです。
それまでの仏教では悟りを得るには生死を繰り返し、三却という想像を絶する長い長い時間が必要とされていました。また女の人は女性の身体のままでは悟りを得ることができず、男性に生まれ変わらなければならないという考えがありました。真言宗ではこれらを否定したために、お大師さまの時代に既存の仏教宗派と天皇さまの御前において議論になりました。しかし、お大師さまが印を結び真言を唱え大日如来を念ずると、そのお姿がたちまち大日如来となったので、非難を浴びせた僧たちもお大師さまを拝し、天皇さまの信仰もますます厚くなられたと伝えられています。
また金剛界曼荼羅において、大日如来の一番近くにおられるのは女形のほとけさまであり、これは女性であることが仏道の障害にならないことを表しています。貴賤老若男女を問わず、全ての人の内には尊いものが秘蔵されており、それを見出すところに真言宗の一つの秘密があります。
現世利益とは、今生きているこの人生で”おかげ”をいただくということです。
今生きているこの人生が終わって以降におかげをいただくことは「当世利益」と言います。
真言宗では「現当二世の利益」現在と来世両方の利益がいただけますが、特に現世での利益を重視します。今苦しいこと、悩んでいること、困っていることは、今救われたいと思うのが人情ですし、仏道のほとけさまはそれを救うことを誓願しておられます。
また真言宗は肯定の宗派です。他宗で目の敵にされる煩悩ですら肯定します。悟りを求める志も、人を助けたい救いたいという気持ちも、いわば煩悩ですし、種や肉身を維持するために必要だから煩悩が備わっているわけで、体が維持できなければ現世で悟りを得ることも、人助けをすることもできません。
仏教では悟りの象徴として蓮の花が用いられますが、綺麗な蓮の花も泥から養分を得て咲いている訳です。
仏教諸派には「四弘誓願」というものが広く用いられており、この中に「煩悩は限りないが誓って断つことを願う」という文句がありますが、真言宗ではこれを用いません。仏教他派のことを悪く言ったりもしません。それも真言宗の教えの中に含まれているので、間違っていませんよというわけです。
そういった理由でお大師さまの時代でも、既存の仏教宗派と争いになりませんでした。
お大師さま誕生処の善通寺では、浄土宗の法然上人が自分の死後の供養を行っていますし、境内には真宗の親鸞聖人のお堂があります。ご入定の地である高野山の奥の院には、法然上人、親鸞聖人のお墓があります。さらに真言宗のお寺には必ずと言っていいほど神さまをお祀りしています。
あらゆることを大日如来の働きの顕れとするため、宗派宗教にとらわれない懐の深い教えなのです。


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加持祈祷

真言における祈願祈祷のことを「加持祈祷(かじきとう)」と言います。
あるいは単に「加持」「お加持」と呼ぶこともあります。
火を使う護摩にあれ、祈祷している慈蘊水を注ぐ作法にあれ、護符を使うにあれ、真言をお唱えするにあれ、真言宗では他にも様々な方法を用いますが、どれも「加持祈祷」です。
「加持」という言葉は、サンスクリット語(梵語)の「アディスターナ」の訳語です。アディ」が増加・添加の意味で「加」、「スターナ」が受持・任持の意味で「持」、二つの働きがひとつになって「加持」と言うのです。
「加」はほとけさまの大慈大悲のお力が我々に向けて加えられることであり、

「持」とは我々がほとけさまからの大慈大悲を感じ取って受けとめることです。
我々の願いにほとけさまがよく「応」えてくれて、そのお力を我々がよく「感」じ取って受けとめることができると「おかげ」がよく現れます。
これを「加持感応(かじかんのう)」と言います。ですので、真言宗の加持祈祷では、ほとけさまにお願いするだけでなく、受けとめる(お願いする)側の受けとめ方が重要になります。
合格の祈願をして、仏さまに頼んだからもう安心と、勉強をしないで合格できるでしょうか?まずダメだと思います。お願いする人の努力と仏様の力が合わさって、世界を動かす力が生まれます。
お大師さまに紀伊の国守が祈願を頼んで、自分は狩りに行って遊んでいたことを、お大師さまがたしなめる書状が残っています。
「一手拍をなさず、片脚歩むあたわず、必ず彼此の至誠によって、乃ち感応を致すのみ、然らずんば徒ら財物を費やすとも修法何の益かあらん」(片手で拍手はできず、片足では歩けない。そちらとこちらの誠意が伝わってこそほとけさまが応えてくれる。そうでなければいくらお金を使っても効験などありません。)
病気が治るように(当病平癒)とのお願いは、まず治療や医薬に手を尽くすことです。その上で加持祈祷を用いて物心両面から癒しのおかげをいただくべきです。
天皇さまがご病気の時、お大師さまはお加持した水を奉進して「薬と合わせて用いて不調を除いてください」とお見舞いされています。
お加持は魔法や魔術の類ではありません。術者が一方的に手をかざしたり、気合をかけたりして治すようなものではないのです。本人の努力とほとけさまの力と、それを相方に使える行者の力が合わさって験を現すものです。もっともその験も原因と結果という法則に従って現れます。
お加持は大地に種を蒔くようなもので、すぐ芽を出す時もあれば、時期や条件が合わずなかなか芽が出ない場合もあります。しかし種を蒔かなければいつまで経っても生えることはありません。
真言宗は現世利益を重視します。現に今生きている人の助けになるということです。
仏道のほとけさまは人を助けることを誓願されています。必死に他者を救おう助けようとされておられます。苦悩がひとつ消えれば、我々がひとつほとけさまに近づくわけですし、誰か一人を幸せにすれば、その一人が他の困っている人に手を差し伸べてくれるはずだと信じておられるからです。
真言宗の僧侶は、そのほとけさまの慈悲と、困っている人や苦しんでいる人の思いを繋ぐことに本分があります。お弔いにしか用事がないと考えている方も多いでしょうが、苦しい時や困った時は真言宗のお寺にお願いしてみてはいかがでしょうか。もちろん誓願寺でもお受け致します。
スケールは違いますが、お大師さまもこの法に力を尽くされ「帝四朝を経て国家のために壇を立て法を修すること五十一箇度、神泉苑の池辺に雨を祷るに霊験是れあらたなり」と仰せられました。
それから、加持祈祷に限らず神さま仏さまにお願いごとをして、おかげをいただいた時は必ずお礼参りに行くことです。頼むだけ頼んで、叶ったらあとは知らんぷりでは人間でも気分の悪いものです。
「ありがとうございました」ときちんと感謝を伝えれば未来もきっと良くなるし、次に困った時にもまた手を差し伸べていただけるでしょう。

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護摩

令和3年1月28日に行った現住職の初めての誓願寺護摩祈祷のご紹介動画です。(64分4秒)



護摩は火を使って行う加持祈祷です。密教寺院で主に行われています。
「護摩祈祷」「護摩祈願」「護摩供養」「護摩修法」など様々な祈祷している慈蘊言い方をしますが同じことです。
護摩はサンスクリット語の「ホーマ」を音写した言葉で、「ささげもの」「供えもの」等の意味です。ヒンドゥー教や拝火教の儀式を仏教が取り込んだものです。
護摩には行い方によって、災厄を除く、福富を得る、人の心を得る、親しくなる、障害を除くなどの功徳があるとされます。
真言宗で火を用いるのは、護摩壇においてほとけさまを供養し、ほとけさまの智慧の炎によってあらゆる穢れを払い、

煩悩や執着を焼き尽くし、暗迷を打ち破って仏さまの智慧の世界光の世界へと導き、ほとけさまの慈悲の加護によって祈願の目的を達成するためです。
心の火を用いれば「内護摩(ないごま)」、物理的な火を用いれば「外護摩(げごま)」と呼ばれます。
いずれにしても願いごとを叶える力だけでなく、願いをした人の心も清浄にする力があります。またおかげが現れるのが速いとも言われます。
一部の天部と呼ばれるほとけさまを除いて、ほとんどのほとけさまに護摩のご供養がありますが、多くは不動明王(ふどうみょうおう)さまを本尊として行われています。
ご祈願には、護摩木(ごまぎ)、副木(そえぎ)と呼ばれる木の札に、お願いと名前を記して焚いていただく方法や、行者さんに個別に一座護摩の修法をしていただく方法があります。
誓願寺でも護摩を行えるよう準備を進めています。


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ご供養

供養とは「供給資養」の略語で、サンスクリット語の「プージャ」の漢訳です。意味は「敬意をもってねんごろにもてなすこと」で、仏教では三宝(仏法僧)やご先祖さまなどに供物を勧めてもてなし、尊敬や感謝の気持ちを表して、加護を祈るものです。
亡くなった方の冥福を祈る「追善供養」「先祖供養」「塔婆供養」などは、一般にも広く行われており、「年忌の法事」などもこれに含まれます。「追善」とは「追福修繕」の略語で、故人のためにあとから追って善いことを修して冥福を祈ることです。 また供養のことを「回向(えこう)」と言うこともあります。これは「回転趣向」の略で、自分のした善いことの功徳を他に向って回して届けてあげることです。
なぜ先祖の供養をするのでしょうか。

我々には必ず両親があって生まれてきます。その両親にもそれぞれ両親があって、その両親にも……と数えていくと、三十代遡れば十億七千三百七十四万一千八百二十四人のご先祖さまがいることになるそうです。それだけの人が関わって今の自分があり、途中の一人でも欠けていれば自分は存在していません。
祖先のことを「ルーツ(roots)」と言うことがありますが、「ルーツ」には植物の根という意味があります。ご先祖さまはまさしく根のような存在です。地面の下にあって見ることはできませんが、根を広げて地面を掴んで幹を支え、水や養分を吸い上げて枝葉に送っています。根が元気なら樹も元気ですし、根が腐れば樹もまた枯れてしまいます。現在に生きている我々は枝葉のようなものです。根からの水分と養分を得て、日を浴びて活動し、エネルギーを作り出します。
ご先祖さまである根の方も、元気でいるためにはあるエネルギーを必要としています。それは今生きている者から送るご先祖さまへの感謝の念であり、それを形にしたものがご供養やご回向です。姿の見えないご先祖さまを供養するのは、地中にあって見えない根を養うようなものです。根に力があれば、枝葉である我々も活き活きとしてくるはずです。
自分がご先祖さまに向けて施した善行が、一周回って自分の方に向ってかえって来る。これもまた回向のひとつの功徳だと思うのです。
ある先輩僧侶に「先祖供養をしないと不幸になるのでなはい。幸せだから先祖の供養ができるのだ。」と言われたことがあります。確かに、家に借金取りが押し寄せている時や、痛みや苦しみでのたうち回っている時には、先祖供養どころではないでしょう。今が恵まれていて余裕があるからこそ、ご先祖さまのことまで思いが至る、ご供養ができると言えそうです。そしてそれはご先祖さまからの「おかげ」なのかもしれません。感謝の念を忘れないようにしたいものです。
ご先祖さまを敬い感謝することは、その末葉である自分自身を敬い感謝することになります。それが自分という人間の本当の価値を知ることに繋がります。あなた自身がご先祖さまたちにとっての成果なのです。いずれ自分たちも根にまわる日がやってきます。
親しい人などを亡くされたら、亡くなられた日がその方のあの世での誕生日になります。この世で誕生日を祝うように、その日にはあの世での故人さまの幸福を静かに祈って差し上げましょう。この世に七五三や入学卒業、成人式などの節目があるように、まわり目、回忌があの世での節目です
旅立った方は忘れ去られるのを何より悲しみます。人を思うと書くと「偲」という字になります。あの世の節目にはご供養とともに、亡くなられた方を「偲ぶ」という心を寄り添わせてください。その時、亡くなられた方はあなたの心の中で蘇ることになります。
ご供養、回向は形だけでは片手落ちです。ご先祖さまや故人さまを真心をもって悼み、偲び、敬い、感謝する。そのようなご自身の心を養い、それをお供えすることこそ本当のご供養です。お寺にはそれをお手伝いできることがあります。どうぞご相談されてください。



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瞑想(阿字観)法

「近うして見難きは我が心、細にして空に遍ずるは我が仏なり。我が仏、思議し難し。我が心、広にしてまた大なり。」(『秘蔵宝鑰』)
お釈迦さまはピッパラの樹の下で瞑想をなされ、遂に悟りを開かれました。 以降、仏徒にとって瞑想は修行の大きな柱となります。
様々な先徳がお釈迦さまの至った境地を求めて、祈祷している慈蘊自らの心を深く観察し、様々な思想や瞑想の方法を生み出してきました。特に後発の仏教である密教は、それらをまとめたかのように多くの瞑想法が伝えられています。
真言宗ではそれらの瞑想方法を、多くの場合「観(かん)」と呼びます。
「観」はサンスクリット語の「ヴィパッシャナ」の訳で、観視、観察という意味です。
瞑想の目的や方法を表す言葉に「観」を付けて「〇〇観」と呼びます。
例えば「五相成身観」「入我我入観」「三平等観」

などがあります。
真言宗のたくさんの瞑想のうち、一般の方にもよく行じられるものに「阿字観(あじかん)」や「月輪観(がちりんかん)」があります。
これは「字輪観(じりんがん)」という観法を簡易にしたもので、「阿字観」は梵字の「ア」の一文字を、「月輪観」は満月の図像を用いて瞑想を行います。
礼拝ののち姿勢を調え、真言をお唱えし、呼吸を調え、月輪や阿字のイメージを使って瞑想を行うというように、段階を踏んで瞑想を深め、目前の図像がイメージの補助になるため、初心の方にも行い易い瞑想方法です。
行い易いとはいえ、大変奥深く悟りへと通じる瞑想です。 自身の内面は広大で複雑です。正しく行わない瞑想は、心の病を引き起こしたり、元に戻ってこられなくなる恐れがあります。必ず指導者のもと行ってください。
密教の瞑想は「実のごとく自らの心を知る」ことにあります。瞑想を通じてご自身の心の一端を垣間見られてはいかがでしょうか。

「無辺の生死 いかんが能く断つ ただ禅那 正思惟のみあってす」 (『般若心経秘鍵』)

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妙見菩薩

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